2023年9月15日に公開となったアニメ映画「アリスとテレスのまぼろし工場」
泣ける映画として有名なあの花(あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない)の脚本やさよ朝(さよならの朝に約束の花を飾ろう)の監督を務めた「岡田麿里」さんが監督した作品であります。
そこで気になったのがタイトル「アリスとテレスのまぼろし工場」ではないでしょうか。
まぼろし工場は作品の内容などからなんとなく想像がつくのですが、問題はアリスとテレスのほうであります。
いったいどういう意味だろう?時になった方もいらっしゃるのではないでしょうか。
ギリシャの哲学者に「アリストテレス」という方がおりますがこれと何か関係があるのか?
そのタイトルの意味についてここでは徹底調査してみようと思います。
アニメ映画「アリスとテレスのまぼろし工場」というタイトルにはどのような意味が込められているのか紹介いたしますのでご覧ください。
「アリスとテレスのまぼろし工場」のタイトルの意味について
岡田麿里監督のアニメ映画作品「アリスとテレスのまぼろし工場」のタイトルの意味するところですが。
これについて、雑誌のインタビューにおいて岡田麿里監督が語っておりましたのでまとめてみようと思います。
簡単にまとめるとこのようになります。
小説を書き始めた当初は狼に育てられた少女と、嘘ばっかりついているような狼少年のような少女の二人の物語を書きたいと思っていたのだそうです。
そこに昔岡田麿里監督がギリシャの哲学者「アリストテレス」を「アリス」と「テレス」の二人組だと勘違いしたことを思い出し。
自分なりに生きることについてつきつめて考えるような哲学的なテーマの作品にしたいとの思いもあってこのタイトルにしたのだそうです。
このタイトルに込められた意味は作品中に見え隠れしております。
睦実が自分のことを狼少年だと言ってみたり、作品中ではアリストテレスの名言「「希望とは、目覚めている人間が見る夢である」が使われていたり。
作品の中で漫画作品のキャラが使う必殺技「哲学奥義エネルゲイア」ですが
エネルゲイア(可能性が実現していることを表す用語)という言葉はアリストテレスが初めて使用した言葉であります。
つまり当初の構想では睦実と五実ではなくて
アリスとテレスという名前になる予定だったのですね。
また「まぼろし」というタイトルについてですが。
こちらは岡田監督がシリーズ構成を務めたアニメ作品「凪のあすから」(2013年~2014年)の制作時に三重県にロケハンに行ったことが関わっているそうです。
その時に海沿いの街で使われなくなった駅舎だとか、誰も住んでいない家や閉まってしまったお店なども目にした岡田麿里監督。
その時の風景を思い出して、“土地が見る夢”というイメージが湧いてきたのだそうです。
昔は栄えていた街からどんどん人がいなくなっていった時、その土地はどんなことを考えるんだろう、賑やかだった頃の夢を見たりするのかな」とこのような考えに至り。
土地(工場)が見せるまぼろしというモチーフの作品を描こうとこのようなタイトルとなったそうです。
「アリスとテレスのまぼろし工場」のタイトルの意味についてまとめ
ここまで岡田麿里監督のアニメ映画作品「アリスとテレスのまぼろし工場」のタイトルの意味について紹介してきました。
まとめますとこのようになります。
このように一見どういう意味だろうと思われた作品のタイトルでしたがちゃんと意味があったうえでのこのタイトルなっていたことがわかりました。
最初のころは五実と睦実のどちらがアリスとテレスだったのかがちょっと気になってしまいました(笑)
インタビュー内では一番描きたかったのは「暴力的な生命力」についてだと岡田麿里監督はおっしゃってました。
その点についても五実のあふれんばかりの生命力や睦実や正宗のかりそめの世界でも強く生きようとするその意思についてなど。
アニメ作品となることで声優さんの熱演によりこのあたりが十分に表現されていたのではないでしょうか。
深く練られたシナリオと演出により何度でも作品を見たくなる面白さとなっております。
入場特典も見週連続で変わるそうで全部ほしくなっちゃいますね。
見るたびに新たな発見がありそうです。
ここまで読んでいただきましてありがとうございます。
コメント
あの花のタイトル間違えています。
ご指摘コメントありがとうございます。
確かに…。「あの花の名前を僕達はまだ知らない」が正解ですよね。
修正いたしました!
申し訳ありませんでした。
本当にご指摘ありがとうございます。
何度も申し訳ありませんが、正しくは「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない」かと思われます。
たびたび申し訳ございません。
「あの花」と覚えていて正式なタイトルをちゃんと覚えていないとはなんというにわかっぷり…。
本当に申し訳ありませんでした。